5月24日にDMO東京丸の内で、ニューヨーク市交通局・元局長であるジャネット・サディク=カーン氏を招き、講演会「大丸有地区における街路・都市交通の将来 −ひと・みち・交通の新たな関係−」が開催されました。
サディク=カーン氏は、2007年から2013年の間、ブルームバーグ前ニューヨーク市長のもと、市交通局・局長として、タイムズスクエアの車道の廃止や、人が歩いたり休んだりと、快適に過ごすことができる広場づくりなどニューヨーク市の街路の再生を主導した実績を持っています。退局後はブルームバーグ氏と都市デザインの会社を立ち上げたほか、現在は米都市交通担当官協議会代表も勤めています。
大丸有エリアにおける街路は、かつて自動車交通を中心としていましたが、車道幅の縮小と歩道の拡幅やベンチの設置、車や自転車のシェアリングサービスといったMaaS(※)の普及など交通のかたちも変化し、近年は就業者・来街者を中心とした「人」のための空間にその姿を変えつつあります。
サディク=カーン氏はいかにして、街路空間を車中心から人中心へと変えたのか。ニューヨークでの取り組みを紹介し、大丸有をはじめ、日本ではどのようにひとのための空間を作っていけば良いのかを話しました。
※“Mobility as a Service”の略
2030年のニューヨークの未来を描いた、長期環境計画“PlaNYC”
サディク=カーン氏の交通局長就任時、タイムズスクエアでの人々の移動手段の割合は、歩行による移動が90%を占めているにも関わらず歩行者に与えられたスペースはごくわずかで、車での移動を前提として作られた空間でした。そのため、車道に溢れた人と通りがかった車の接触事故が頻繁に発生していたと言います。さらに2030年までに何百万人の人々がニューヨークに流入してくるという試算も出ていました。そこで、インフラ整備などにおいてこのままではいけないと、当時の市長であるブルームバーグ氏によるニューヨーク市の長期環境計画“PlaNYC”が立ち上がります。
このPlaNYC はいくつかの項目に分かれており、その中で交通手段の選択肢を増やし、交通網の安定と品質向上、バス高速輸送システムの導入、道路であった場所への公共広場の設置などが、街路空間における取り組みでした。
街路をすばやく変えるために、重要な3つのこと
街路空間における取り組みでは、「迅速に実行する」ということを強調していました。
3辺を道路で囲まれた三角地の駐車場など小さな範囲では、週末にスピーディにペンキを塗り、そこを人の空間へと変えるというアクションを、マディソン街をはじめにニューヨーク各地で実施したと話します。タイムズスクエアにおいても行ったことは、ペイントを塗り、プランターを置き、ホームセンターで大量に購入したビーチチェアを並べるというシンプルなことでした。
ニューヨーク各地で「迅速に実行」された事例は、 “街路整備というハード面を変えるためには、多くの時間とお金を要する” という固定観念を変え、すでにあるリソースを活かして短期間に街を変えることは可能である、という教示となるでしょう。
しかし、どれほど迅速に行おうとも、交通量の多いタイムズスクエアを人中心の空間へと変貌させることなどできるのでしょうか。そこでサディク=カーン氏が構想を実行に移すときに取ったスタンスが「実験的に行う」ということでした。
42番街から47番街までのブロードウェイでの車の交通を遮断し、約1万平方メートルの歩行者天国にしようと市長に提案すると、その前代未聞の計画に“You are crazy(あなたは頭がおかしい)”と一蹴されてしまったと話します。しかし、「実験的に行う」という条件で、実行に移されたのです。「仮設で行って、もしだめなら元に戻せば良い」という考えです。しかし、いざ蓋を開けてみれば、人々がどれほど広場に飢えていたかがわかるほど、多くの歩行者が一気に広場に殺到したのでした。
続けてサディク=カーン氏は、「データ」の重要性についても強調します。
ブルームバーグ氏は徹底したデータ主義者であり、実験が成功か失敗かを実証できるものが必要であったため、道幅や長さといったハード面の測定に加えて、近隣小売店の売り上げの推移や歩行者の往来の増減などありとあらゆるデータを集計したと言います。集計結果というと、歩行者の数が1日あたり10万人増加、歩行者事故が減少、移動所要時間の短縮、旗艦店が5店舗出店、区域の小売店の売り上げは上昇、そして世界でも10位以内に入るショッピングエリアにまで成長したことが明らかになりました。このようにデータを集め、分析することで、資金を投じる価値のあるプロジェクトかどうかが明確に判別することができたのです。
東京、そして日本でどのように適用させていくか
サディク=カーン氏は、「タイムズスクエアのストーリーと渋谷は似ている」と話し、スクランブル交差点をピックアップして、どのように街路空間を設計すればよいのかを説明しました。
1950年代と、70年後の現在で、渋谷は建物に違いはあれども、片側2車線が交差するという道路そのものの形はほとんど変化していません。データを見ると、車のために多くのスペースが設けられていますが、車での移動の割合は10%ほどでしかないのだそう。そこで「データに沿って優先順位を考えることが有効」とサディク=カーン氏。車ではなく人による移動が多くを占めるため、車道をひとつ中央に寄せ、それによって空いたスペースをバスや自転車レーンに変えるという現在からの代替案を示しました。
デンマーク・コペンハーゲンやオランダ・アムステルダムでは、すでに自転車のための専用レーンが整備されています。ニューヨークでは路上駐車レーンを路肩から1レーン中央にずらし、路肩にできたスペースを自転車レーンにすることで、自転車と走っている車の間に停車中の車が配置されるようになり安全だと紹介していました。日本・東京でも自転車専用レーンを整備し、政治的な仕組みも整えれば、自転車ベースの街を容易に作ることができ、街の景観が変わるだろうと話しました。
大丸有での取り組みは、日本のスタンダードへ
その後、大丸有エリアマネジメント協会で理事を務める廣野氏が、大丸有エリアの街の変遷や行ってきた施策を紹介しました。
ビジネス街として昼間は人の往来が多いものの、夜や休日には人が通りからいなくなり、ゴーストタウンとまで揶揄される状況だった当エリアは、丸ビルの建て替えと丸の内仲通りの再整備を軸に、ビジネスだけではなく、賑わいと文化ができる街へと動き出しました。舗道の整備やオープンカフェ実験、テナント誘致、ベンチの設置などにより、魅力ある街へと生まれ変わり、現在では休日に多くの人が丸の内エリアを訪れてショッピングや滞在を楽しんでいます。
廣野氏の説明に対してサディク=カーン氏は、「街が生まれ変わり、夜や休日に訪れる人数の増加などの結果が伴っていることはとても素晴らしい」とした上で、「成功はすでに立証されています。丸の内仲通りを恒常的に歩行者天国にしたり、仲通りで行っている取り組みの範囲を広げるなど、できることはまだまだあります」と現在の大丸有エリアへの提言をしました。
また、ニューヨークと同様、前例のない活動の実績を作っていくことがゆくゆくは、当地域だけではなく日本各地におけるスタンダードとして受け入れられていくだろうと話しました。
参加者から、「クリエイティブで少々クレイジーなあなたが交通局長という要職につけるのは素晴らしい」という意見に対し、サディク=カーン氏はこれまで政治学や法律を学び、建設コンサルタント会社の副社長を務めるなど、多彩なバックグランドを説明した上で、現在のニューヨークをこのように紹介しました。
「ブルームバーグ前市長が“ニューヨークを変えなければ”という変革の使命感に駆られていたので、クレイジーですが変わった実績のある私に白羽の矢が立ったのだと思います。前市長のもと、迅速に様々な活動に取り組んでいった結果、多くのニューヨーカーから支持されるようになりました。しかもそれだけでなく、逆に彼らの方から政策に対する様々な要求が高まったのです。市民による変革の機運が醸成されたということです。以前であればクレイジーに思えたことも、現在では常識になりつつあるのです
サディク=カーン氏は、街路をひとのための空間へと変化させる過程を表現する際に、しきりに“Street Fight(街路の戦い)”というフレーズを口にしていました。それは、「街路を変えれば世界を変えることができる」という彼女の思いゆえに発せられた言葉でした。そして、そのために必要なのは技術力ではなく想像力であると話し、今後も魅力あるエリアづくりを進めていくにあたり、重要なことを教えていただいた講演会となりました。